3/4 PM 羽田発鹿児島行きJAL便にて 一路、故郷鹿児島へ 18:00 鹿児島空港到着。

DSCN0383

同窓会が始まる時間になった。
従兄弟の同級生に空港に着いた事を連絡、今、乾杯をしたところだと言われた。
40分くらい遅刻することを伝え、いつものレンタカー屋で予約済みの車を借り、空港に隣接する九州縦貫道路に乗った。
貸し切り状態の走り良い高速道路だ。

15分程で我が町湧水町のインターを降り、実家とは真逆の目的地、同級生の待つ旅館まで15分くらいか。
42年ぶりに会えると思うとちょっと緊張していたかも。
目的地付近で少し迷った。案内にあった住所をグーグルで調べ脳裏に記憶していた所は民家だった。

おおよそ 旅館とは思えない普通の民家 そうだよなと思つつ、グーグルで検索したとき「ここかよ」と思っただけで別に何の疑問も持たなかったが!あれ~ドキドキだ。隣の酒屋に案内をみせ場所確認したら、間違った民家の100mくらい裏側だと言われ、向かうとパターゴルフがあり、その隣に目的地発見!18:45分になっていた。
玄関ホールでどこかで見たような親父が、「西君だよね」と声をかけてくれた。

DSCN0392

ほ。42年ぶりの再会だ。
同窓会の案内状をくれた幹事の「○○君」だった。
昭和50年卒業の3年間同じクラスで学んだ級友のもとへ。

宴会場入るなり 「久しぶり」の挨拶も すぐさま 2~3人に「俺、覚えているか」と声かけられ、あわててしまった。
席につくなり 握手責めに会い しばらく 戸惑いがあった。
名前と顔が一致せず。
だが、徐々に思い出してきた。

DSCN0388

42年前、元気がよかった奴は今も元気がよかった。
流石に還暦を迎えた顔は、皆、職業は違えど、シワとシミで歴史を感じさせる風貌だ。
苦労を物語る素晴らしい顔だ。いい笑顔だ。

個人経営している人、企業で役員をやっている人、妻子を残し親の介護に帰ってきている人、それぞれだが。卒業後、湧水町に残っている人は、木造大工と建具屋の2名(中学の同級生6名のうち)だけだ。
いずれも後継者としてがんばっていた。それでも鹿児島県内で暮らしている人は3半分1くらいはいた。

43名で建築を学び そのまま建築業をしている者は6人だと聞いた。(すくな!) 残念ながら、若くして亡くなった方もいた。今回18名参加だったが、42年ぶりの場は盛り上がった。
その場では時間が足りず 当然だが、2,3,4次会と還暦の体力を思う存分に使い、ベテラン酒飲み屋も、流石にあの夜は大半がはめを外したのだろう。

翌朝、私も、少々、飲み過ぎの感があり、所々、何を話したのか記憶も飛び飛びだ。(いつもの事だが) この場所は昔から温泉町でもあるので、風呂も独特の温泉の臭いを漂わしている。
最初は2人、そのうち3人がきた。
5人でしばらく湯の中で思い出話に花咲かせ、朝風呂を楽しんだ。更に全員で朝食を味わった。朝食後、1時間半程 昔話募らせ、談笑し相槌を打ち 再会を近い  それぞれが現実の世界へ戻って行った。

たった一夜ではあったが、42年ぶりの再会は考え深い思い出になった。
企画してくれた幹事に感謝しつつ!

帰路の途中、今は跡形さえないが、高台にある3年間通った高校跡を、川内川の橋の上から眺めてみた。

DSCN0395
今は YAMAHAの工場になっている。卒業後、3,4年後に私の実家の近くに新築された。(中学校より近くに)だが、今は残念ながら廃校になってしまっている。
帰省するたびに思うのだが、校舎と言い、グラウンドといい、申し分のない環境だといつも思う。(野球、サッカー、ラグビー、それぞれあり)

栗野駅、丸池公園、(整備されすごく近代的だ。町並みはきれいになり整備はされているが活気がない。人と会わないな~)中学校寄ってみた。

DSCN0400 DSCN0414

DSCN0421

校舎は 卒業したときのままだった。グラウンドは、マウンドが無かった。廻りのネット無かった。部室もなかった。
残念と思いつつ、母のもとへ。
1時間程 母と同窓会の話などして、鹿児島空港へ!

3/5 12:55分発JAL便にて、羽田空港へ 鹿児島名物「さつまあげ」を手に、更に現実の世界へUターン!