57年前の1964年(S39年)わたし髙島は旧軍港都市の長崎県佐世保市の材木店で昼間働いて夜間高校に通学していました。

材木店の社長が長崎県警察佐世保警察署の柔道師範を勤めていました。

その社長が東京オリンピックで柔道を応援に行く話を聞いた。日本の西端の町から東京に泊まり込みで応援に行く事が自体、貧乏学生の自分としては夢のまた夢でした。

そのオリンピックで自分の記憶としては、陸上でスタート瞬間の白人・黒人が走るポスターとバケツ型の黒い聖火台に白いユニホーム姿の選手が点火する光景とマラソンでエチオピア出身で金メダルのアベベぐらいしか記憶に有りません。

今回新型コロナウイルスの影響で史上初の1年延期となった第32回東季五輪東京大会は7月23日開幕をテレビで見た。

東京に聖火がともるのは57年ぶりだ。午後8時に東京・国立競技場で始まった開会式で天皇陛下が開会を宣言された。

大会には205カ国・地域と難民選手団から選手約1万1000人が参加し過去最多の33競技339種目に望む。

国内での夏季五輪は1964年(S39年)東京大会以来、2度目。ウイルス感染防止策として全42会場のうち国立競技場を含む37会場が無観客になった。

新型コロナウイルスの流行という苦境下で、世界のアスリートが8月8日までの17日間にわたり力と技を競い合う。

本来なら大歓声に包まれるはずの開会式は、感染予防のために無観客になった。選手たちはマスク姿で入場し、互いに間隔を空けて密集を避けた。

最後に入場した日本選手団は史上最多の580人以上の布陣で臨み、これまで最も多かった1964年東京大会の355人を大きく上回る。

大会は1年延期になり、満足に練習出来ない時期が続いた。

選手を取り巻く環境は大きく変わり、現在は、日本オリンピック委員会は金メダルの獲得数は重視しない考えを示している。

選手たちは、重ねてきた努力の成果を存分に発揮してほしい。

その姿に、テレビ画面などを通じて大きな声援を送りたい。