息子の誘いもあって、冬の白川村へ旅行することにした。雪深い場所として、今まで冬に行こうと思ったことはなかった。
私は東京都渋谷生まれであるが、親父が白川村出身で、その為戸籍は岐阜県大野郡白川村であって、両親が2才の時に亡くなってからも30才位まではそのまま置いていた。
幸い親類が村役場に勤めていたので、必要な時は支障なく取得することが出来た。
戦後のどさくさの中であったせいか、私が白川村のことを知ったのは中学になってからのことであり、叔父が連れて行ってくれたのがまったくの最初である。
美濃太田からバスで山道を5~6時間かけて行ったのを思い出す。その当時、御母衣ダム建設反対の横断幕が山裾に白川村まで張り巡らされていたのを子供心に薄気味悪く感じたものである。
村では、喜久屋という旅館を営んでおり、夜遅く着いたのですが、降り口には20人程の人が出迎えてくれて、ビックリしたものです。
ドイツのブル-ノタウトが白川村の合掌造りを世に知らしめたのが始まりで、それから世界遺産となり有名になったのでした。
私は、大学は政治経済学部卒業ですが、ブル-ノタウトの影響でそれから建築に興味を持ち工学院の夜学に通い、無理なお願いをして北島に入社しました。
墓参りをかね、いくどか白川村へ旅しておりますが、里山の優しさ、人の温もり、どぶろくもおいしく、私にとって白川村は心の故郷となっております。

①冬の白川郷

①冬の白川郷

②世界遺産白川郷

②世界遺産白川郷

③ペン画

③ペン画

④版画

④版画